震災を契機に、日本社会の脆弱性が露わになりつつあります。確とした方針を提起できず、その場しのぎの対応に終始する民主党内閣。進行し続けるデフレと円高に苦しめられ、次代の戦略を打ち出せない国内企業。次から次へと変わり続ける教育方針に振り回されながら、未来に対する希望が持てずにいる若者たち。私たちの国は、いったいどこに行こうとしているのでしょうか。
19世紀フランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルの哲学を手がかりに、現代日本の現状を明快に分析した『〈私〉時代のデモクラシー』の著者、宇野重規氏にお話をうかがいました。
時期を失した「ゆとり教育」の導入
―― 先生の御著書、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、大変興味深く拝読しました。
その中に「オンリーワンの私」というキーワードが出てきます。
これは今の若い世代、いわゆる「ゆとり世代」と呼ばれている世代に共通する極めて重要なキーワードだと思いますので、ちょっと該当箇所を引いてみます。
「自分が『オンリーワン』な存在であることに誇りを感じる個人は、同時に自らが、同じく自分を『オンリーワン』だと思っている大勢のうちの一人にすぎないこともわかっている、ということになります。結果として、自分らしくあることに人一倍敏感な平等社会の個人は、逆説的に、自分の同等者の総体である社会の声に対し、無力感にさいなまれてしまうのです」。
これが、もし今の若者たち、いわゆる「ゆとり世代」特有の無力感、脱力感の根底にあるものだとしたら、非常に厳しい状況ですね。
教育の思想史からみると、教育の理念というのはいつからか大きく変わってきました。ある時期までの教育というのは、ある社会に生まれて、そこの言葉を学んで、ルールを学んで、その構成メンバーになっていく。つまり、過去から継承されてきた知識やいろんなノウハウや生き方を学んでいくのが教育の中心だったんです。それが過去から積み上がってきたものを学習するんじゃなくて、一人ひとりが学ぶ主体になるというように変化してきた。それは僕の専門であるフランス思想史でいえば、ルソーあたりからですね。
それによって何が変わったかというと、教育で一番大切なことは、過去から継承されてきた知識を学ぶことではなく、学ぶことを学ぶ。学ぶ能力を学習する。これが大切なのだということを教育理念とするようになった。
つまり、近代の教育理念というのは、基本的には学ぶことを学ぶ能力をつくる。主体的に自分で判断する。それが政治的に市民になる条件であり、経済的には労働者や、あるいは消費者になる条件である、と。その方向でずっとやってきたわけです。
そういう意味でいうと、「ゆとり教育」というのは別に悪い考え方ではない。これからの時代は、特定の知識を学校で学べばそれでもう一生涯持つんだという時代ではないわけだから、一生涯かけて学習していかなければいけない。いわゆる生涯学習という考え方ですね。自分で学ぶべきことを探して、常に学び続けるという姿勢が大事なことなんだ。自分の生涯にとって何が必要なのかを自分で判断し、自分で勉強をしていく。そのような主体をつくらなきゃいけないんだ、と。これは近代の教育理念で考えれば、どう考えてもそれ自体間違っているはずがないんです。
ただ、なぜ日本では話がこれほどまでに混乱するかというと、フランスと日本では、教育史の時間軸がかなりずれているからです。
フランスなどでは、そういう大きな教育理念の転換は19世紀から20世紀初頭ぐらいまでに起きている。一〇〇年以上の時間をかけて、様々な価値判断ができる主体をつくるための教育をやってきました。
ところが、日本ではその転換が現在まで持ち越された一方で、一足飛びに子供たちの消費主体化が進んでしまっています。今の子どもたちは、学校に来た瞬間から自分が主体であることを疑わない。そして教育を、自分が消費するサービスだと思っている。これでは教育が成り立たないんです。
これは内田樹さんなんかがよくおっしゃることなんですけど、学ぶことの意味とか価値なんてあらかじめわかるものではない。だから、そこにはどうしても権威が必要になってくる。つまり、「これを学ぶことは良いことなんだよ。意味があることなんだ。だからキミたち学びなさい」っていう「師」が必要になる。
でも、今の子供たちは学びはじめの瞬間から、「こんなことを学んで、何の役に立つんでしょうか?」って問いかけるんですね。問いかけた上で、それに対する答えに納得しないと学ぼうとしない。だから大学では詳細なシラバスを作って、「これを勉強すると、こんな得がありますよ」ということを説明しようとする。今や大学もれっきとしたサービス産業の一員ですからね。
だけど、本来の意味での教育っていうのは、「いいから学べ。今これを学んでおくと、後々学んだことの意味がわかる時が来るから、とりあえず学べ」って言わなきゃいけない部分がどうしても残るんです。
急速に進行した学ぶ側の消費主体化
―― まさに、その通りですね。
僕自身も、最初に「教育はサービス産業なんだ」って言われた時はなんだか新鮮な感じがして、「そうか、僕たちはサービス供給の主体だったんだ」って思ったこともあります。これは、実にいいことじゃないか、と。今まではあまりにもサービス精神がなくて、彼らのニーズも考えずにこちらから教えたいことだけを一方的に教えていた。それは悪かった、と。これからは、もっと学生のニーズに添えるように頑張ろうなんて、ある時期までは初々しく考えてたんです(笑)。
でも、ある時期からだんだん向こうの要求がキツくなってきた。板書の書き方が悪いとか、講義だけではよくわからんっていうぐらいまでは、「そうか、そうか。すまなかった」って思ってたんですけど、ある時期から「こんなの勉強して何の意味があるんですか?」とか、あるいは「これを学ぶメリットをあらかじめ説明せよ」って言われ始めて、これは困ったぞ、と。
特に、僕の専門は政治学ですからね。政治学を学ぶメリットって言われても、困るんですよ。
政治学を学んだ学生がみんな政治家になるわけじゃないですからね。だから、「これは良き市民になるための学問なんだ」って言っても、「良き市民になって何か得しますか?」って言われると本当に困る。もう、お手上げです。
となると、こちらとしてはもうひたすら目に見えるわかりやすいメリットを示していくしかない。つまり、これをすればこういった資格が取れるよっていうような提示の仕方しかないんですけど、でも我々のやっている思想とか哲学なんていうのは、こういうメリットがあるっていうことを事前には説明できない。
いろいろやって考えても、大学にいる間はわからないかもしれない。だけど、大学を卒業して職場で働いている時に、あるいはもっと歳をとって熟年期に達した頃になって、ふと、「ああ、あのとき勉強してたことって、こういうことだったのか」って、ようやく腑に落ちることだってある。そういうもんなんですよ、学ぶっていうことは。
ところが、一人ひとりが消費主体である学生には、そうした話は通じない。教育もサービスだということを、誰も怪しまないんです。そういう社会に急速に移行しちゃったわけですよね。
一人ひとりが選択できる主体になるために、学ぶことを学ぶ。これ自体、近代教育理念としては極めて正しい。正しいんだけれども、日本の場合、その大きな転換期を迎えるのが、フランスに比べて一世紀から二世紀くらい遅れている。にもかかわらず、その間に、日本における学生の消費主体化は世界最先端にまで進んでしまった。
そういう時代に近代の教育理念を教科書的に実現しようとするのは、学ぶことの意味がわからない子供たちに自由に学ばさせろと言っているに等しい。しかも、それをどう指導するかに関しては現場の教師に全部丸投げされている。これで現場に混乱するなって言っても無理だし、正直に言えば教師はみんな途方に暮れています。
僕みたいに大学で政治学だけを教えている人間でさえ途方に暮れてしまうのに、小学校で全科目を教えなければならない先生方が、「これを学ぶことについていかなるメリットがあるのか、事前に説明せよ」って小学校1年生にすごまれちゃったら、これはもう本当にお手上げです。
若い人の時間感覚がどんどん短くなってきている
―― つまり、日本における「ゆとり教育」は、考え方自体は間違ってはいないものの、導入時期が遅きに失したということですね。
そうですね。日本では、とにかく過去から継承されてきた知識を学べばいいんだっていう叩き込み教育がつい最近まで続いてきました。それをもっと早くに転換しておくべきだったのに、フランスなどに比べると一〇〇年以上の遅れをとってしまった。しかも、その間に学ぶ側の消費主体化だけは急速に進んでしまった。
つまり、「ゆとり教育」の推進はある意味で遅過ぎたし、別の意味では最も悪い時期にやってしまった。それが世の中でなし崩し的に進んで、影響が社会のあらゆるところで顕在化してきている。
たとえば、日本の雇用ってすごく不思議で、就職する時に雇用契約を結ばない。欧米であれば、雇用契約書の中になすべき業務が明確に記されています。「これとこの業務をしなさい。それに対して会社はいくらの対価を払いますよ」ってことです。契約って本来そういうものですよね。ところが、日本の企業の場合、入社は決まったんだけど、何をやらされるのかは入ってみないとわからない。
要するに、日本の就職っていうのはある会社の中のメンバーになるっていう約束であって、一定の努力をし、忠誠することを誓いますという約束なんですね。その約束を果たしたら、会社は一定の範囲で報いてあげますよっていう暗黙の契約。だから、入社前にやるべき業務の説明がない。
だけどそういう状態で就職して、見よう見まねで業務をこなしていくうちに、何となく会社の中の仕事や仕組みが見えてくる。こんなふうにこの会社は動いてるんだとか、これはやっちゃいけないんだっていうことが、ある程度の経験を積んだ後に初めてわかる。今はわけもわからず安い給与で働いていても、その時が来ればきっと報われるっていう暗黙の約束があるからこそ、若い時期の苦労を耐えることもできたんです。
それを支えていたのは、「終身雇用」と「年功序列」という日本独特の制度でした。それがあるから、そのような「未来を担保にした契約」が成り立っていたんです。
ところが、今では「終身雇用」も「年功序列」もすでに崩壊している。今の若い人たちは初めからいつクビを切られるかわからない状態にあるわけです。
とすれば、もはや未来を担保にはできない。今この瞬間の「時価」で契約するしかないんです。
雇い主である会社側も、「今この瞬間に、あなたにはこれだけの給料を払って雇いますが、来年はどうなるかわかりません」って言ってるわけだから、提示できるのは「時価」だけです。そうである以上、就職する側も提示された「時価」で判断するしかない。意味があるのは、常に「今」だけなんです。そういう意味で、今の若い人の時間感覚がどんどん、どんどん短くなってきている。
教育の成果は時間が経たないとわからないのと同様、労働の本質的意義だって時間が経たないとわからない。にもかかわらず就職活動をしている学生は、「今この瞬間に、労働とその対価ややりがいが見合っているか、自分で判断せよ」って迫られているわけです。でも、今この瞬間にそんなことが判断できるわけがない。まして将来における労働の意義なんてわからない。
とすれば、「これは、今本当に自分がやるべき仕事なのかどうかわかりません」と言って、入社後数カ月で辞めていく子が出てきても少しも不思議ではない。大人からすると、「なんて短絡的な考え方なんだ。もう少し我慢しろよ」って言いたくなるところがあっても、それは仕方がない。
だから、「ゆとり世代」を「実に短絡的で消極的、刹那的な若者だ」っていうのは、彼らにとって気の毒な気がするんです。
社会の側の変化によって、本来は長いスパンでしか意味のわからないものを短期的に判断せざるを得ないように、追い込まれている。そうなると、「ゆとり世代」ばかり責めるのは酷な気がしますね。
希望は半透明の未来の中にしかない
―― 現代日本社会の病理というか、矛盾が「ゆとり世代」を追い詰めているということでしょうか。
そういう気がします。
これは余談ですが、僕たち東大社会科学研究所がやっている「希望学」というプロジェクトのリーダーである玄田さん(玄田有史教授)が、あるIT企業から、「若くて優秀な女性社員が次々に辞めてしまう。その原因を調べてほしい」という相談を受けたそうなんです。それで調べてみたら、二通りの答えがあったっていうんですね。
第一の答えは、「毎日、毎日忙しくて先が見えない。こんな状態では自分の将来像が描けない。だから辞める」と。ところが第二の答えは、「今の仕事を続けていても給料は上がらないし、そのうちに若い人に切り替えられるだろう。もう自分の将来は見えたから辞める」と。完全に二つに分かれるんですね、答えが。先が見えないから辞めるという人と、先が見えたから辞めるという人。
これはある意味で、みごとに現代の若い人たちの心理を衝いているなって思うんです。
これから六五歳まで働いて、そうすると年金がこれだけ貰えるから、それまでのステップを二二、三歳の段階で計算するとこうなるんだって、人生の設計図が一〇〇%示されるとつまらない。生きる希望が持てなくなる。だけど、これからの日本はどうなるかまったくわからない。年金も貰えなくなるかもしれないし、会社だっていつどうなるかわからない。そんなこと言われたら、誰だって希望なんか持ちようがない。
ある程度の先は見えているんだけど、その先はまだ見えない。だからこそ、自分で変える余地があると思える。変えることによって自分をより良くすることができ、今はまだ自分に見えていない価値が見えてくるかもしれない。そう思えた時にだけ、人間は希望を持つことができる。
つまり、人間の希望というのは贅沢なものなんですね。人間は一〇〇%先が見えているとつまらなくなって希望を持てないし、かといってまったく将来が読めないと、これまた希望が持てなくなる。人間っていうのは、ほどほどに先が見えた時に初めて希望が持てるし、生きるエネルギーがわいてくるんです。
そう考えると、人間っていうのは実に微妙で危なっかしいバランスの上で生きているなぁと思わざるを得ない。希望は半透明の未来の中にしかないんです。
先が見えなくてもダメ、完全に見えてしまってもダメ。その真ん中の揺らぎというか、両義的な部分。そこが大事なんですが、それが構造的に見えない状況になっているのが今の日本なんです。
その意味で言えば、やはり我々大人の責任が大きいんだと思います。大人の側に若い人たちを納得させられる材料、論理がない以上、「もう辞めます」って人たちを引き止められない。たぶん、今我々はそういう状況にいるんだと思います。
「自分のことは自分で守るしかない」という時代の到来
―― まさにその通りで、もはや会社人間として企業に帰属できない時代であるにもかかわらず、自分で帰属可能なコミュニティを構築できない、あるいは選択できないままにオロオロしている人たちがたくさんいます。
企業側もまた、社員をどこまで抱え込めばいいのか、あるいは突き放せばいいのかの判断ができずにいる。
このような状況は、どのようにすれば打開可能なのだとお考えですか?
難しい問題ですが、私にお話できる範囲でお答えしたいと思います。
ちょっと専門的な話になりますが、日本では長いこと、フランス革命が近代市民社会成立のモデルであると言われてきたんですね。ところが、現在ではフランス革命というのはちょっと特殊なケースだったと考えられるようになっているんです。
フランス革命はそれまでの地域組織、身分制団体、あるいはギルドと呼ばれていた同業組合なんかをすべてつぶしてしまって、新たな社会を目指します。
世の中には国家が一方にあって、もう一方にバラバラの個人がある。そのバラバラの個人が集まり、主体的な市民として政治を担っていくという考え方です。国家と個人の中間には何もない。バラバラになった個人が契約を結んで国家をつくっていくのが近代市民社会であるというわけです。
それを逆に言えば、中間にあるのはすべて怪しい組織であるということです。バラバラの個人が対等の立場でフェアに議論しようという時に、あらかじめ集団をつくって、その内部で相談するような連中がいるなんてけしからん話ですからね。だから、一切の中間団体はすべてつぶしてしまえ、と。フランス革命はそれを徹底して実践したんです。
ところが、今になって考えてみると、それはフランスだけの特殊なモデルであって、近代社会というのは、多かれ少なかれ、どこもある種の中間集団を維持したまま成立しているんです。
アメリカなんてそんな中間団体がいくらでもある。アメリカは移民の国ですから、バラバラの個人では生きていけない。だから、出身地域が同じ移民同士が集まってお互いに助け合うことでなんとか生きていける。アソシエーション(結社)が山の様にある国なんですよ、アメリカは。イギリスなんかもそうです。
それでは日本はどうかというと、これはこれでかなり独特な近代化を遂げていったんですね。特に戦後の会社組織っていうものが非常に独特なんです。
戦前は会社といっても、いわゆる社員と呼ばれた経営側の人たちと、雇われている従業員という階層構造によって成り立っていました。それが戦後に統合されて、「サラリーマン」という労働者集団が出来上がり、それがある種の擬似的な一体感を持つようになった。
そこから先ほどの話のような、「キミをこの組織のメンバーにしてあげる。メンバーになれば、可能性は低いかもしれないけど社長にだってなれるかもしれないよ」というような、未来を担保にする雇用形態が構築されていった。組合も企業ごとに成立するようになり、会社は日本独特の中間集団となりました。
日本の会社というのは、営利を上げる機能集団であると同時に、社員に福利厚生を提供し、さらにはその人の生きがいまでも提供するという、かなり多様な機能を果す組織として発達してきたんです。
ただ、ここで注意しなければならないのは、日本人全員が会社勤めをしていたわけじゃないし、終身雇用を保障していた企業もごく一部で、大半の中小企業や零細企業、自営業者はそのような環境にはなかった。
日本において終身雇用を保障していたのは、ある意味で特権的な集団でしかなかったんですが、その数が相対的に増えていき、かつ中小、零細企業クラスも次第にそういう雇用形態を取り入れるようになった。
さらに、ここが戦後保守政治の非常に面白い点なんですが、そういう大組織から溢れる人たちを違う形で救済するシステムが独自の発展を遂げた。
それが公共事業投資を中心とした政治システムです。
特に、田中角栄が政権を担当して以来、普遍的な社会保障をつくるのではなく、農村部を中心に個別的にお金を投入することによって、大組織から漏れた人々を救っていくという独特なシステムが確立された。
誰もが等しく保障を受けられるような社会保障システムは一切つくらない。その代わり、一方では大企業が人を救っていく。そこから漏れる人たちには個別的な利益配分を行うことによって、何とか食べることを可能にし、かつ居場所を確保するという日本独自のシステムです。
それがここにきて一斉に崩れはじめた。
このシステムは右肩上がりの経済成長を前提としていたからです。その前提が崩れると、このシステムは機能不全に陥る。
もちろん、正規雇用を保ち、かつ長期雇用を保障する大企業がすべてなくなったわけではありません。まだ完全には崩れてはいないんです。ただそれに倣ってやってきた中小企業の多くはそれを維持できない。
大企業の中でも正規雇用と非正規雇用を分け、七〇〇万円程度の年収があった人たちが手薄になり、一方の側には三〇〇万円、一方の側には一〇〇〇万円を超える人たちがいるという、真ん中がすっぽり抜け落ちた形態になってしまった。
さらに、会社組織によって守られず、そこからはじき出され、個別的に配分を受けるしかなかった人たちに対する保守政治の配分ルートも十全に機能しなくなってしまった。
そうなると、近代主義的な、みんなを一律に救うという社会保障システムは元々つくってこなかったわけですから、救済のシステムはどこにもないということになる。日本型近代の裏表ですね。
第二次大戦以降の日本型近代は、会社を中心とする組織が営利面でも非常に高度なパフォーマンスを示し、かつ本来国がやるべき社会保障を代替し、さらには中にいるメンバーに生きがいまで与えていた。それは、ある意味では驚嘆に値する事実だと思います。
しかし、「あの夢をもう一度」といっても、今さらそれは無理です。それでは、今からでも遅くはないから普遍的な社会保障システムをつくろうといっても、それは社会の多数派の声になりそうもない。消費税ひとつ上げるにしても、なかなか上手くいかない時代ですからね。
とすれば、みんなそれぞれ自分のことは自分で守るしかない。収入、社会保障、生きがい。この三点セットは自分で見つけなきゃいけないということです。誰も提供してくれないんですから。
新しい中間集団の模索
―― そうした状況の中で、新しい中間集団というものを模索する動きも出始めているように思います。乱立気味のNPOであるとか、ソーシャルビジネスの台頭などがそれに当たると思うのですが。
その動きは世界的な現象だと思います。
欧米社会には中間集団がたくさんある。利益集団以外にも、スポーツ組織や趣味の組織など、様々なアソシエーションがあるんです。
バラバラの個人が主体となって国家をつくるというのは、やはりフランスを中心とした極端なモデルであって、多くの国は長い時間をかけて中間集団を育ててきた。その実績があるからこそ、現在、それが有効に機能しているのです。
しかし日本の場合、これまでの会社組織があまりにも優秀過ぎて、それ以外の集団が育たなかった。育ててこなかった。そんな状況の中で、会社組織が空洞化してしまったからといって、慌ててNPOのような中間集団をつくろうとしても、そこにはかなり無理があると言わざるを得ません。
一つの集団を組織化していくためには様々なノウハウもいるし、テクニックもいる。そういう中間集団をつくることもある意味では個人の責任だというのが今の流れです。自分で収入は確保しなきゃいけない、社会保障も自分でなんとかしなければいけない、生きがいも自分で見つけてこなきゃいけない。さらには、自分の周囲の人間関係も全部自分で構築していかなければならない。これは本当に大変な話です。
ですから、そのような中間集団を組織しようとしても、それができる人とできない人がはっきりと分かれてくる。そこでも勝ち組と負け組ができちゃうんです。
希望の物語を語り継ぐ
―― そうすると、今は新しい中間集団を組織していくのも相当に難しい、と。それでは、私たちはこれからどのように個を保っていけばいいんでしょうか?
現代は「〈私〉化」が急速に進行している時代だと思うんです。
戦後の日本社会は会社が個人を守ってくれていた。逆に言えば、みんな「会社人間」だった。会社にしか価値がなくて、それが世界のすべてみたいな人が大半だったわけです。「公と私」ということでいえば、会社人間にとって会社は「公」なわけですが、それではその反対側に「私」があったのかと言えば、それはなかった。
会社側からすれば、その個人は会社という〈公〉に属しているわけだから、家の用事〈私事〉で勝手に休むのはダメだと。あるいは、会社以外で人間関係を作って何かをやるのはいけない、と。だけど、その会社も社会の中で見れば一種の〈私〉であって、会社はその上の業界に属し、その業界はまた何かに属しというふうに、ある程度安定的な入れ子状の構造になっている。たぶん、今までの日本人はそのように世界の構造を理解していたと思うんです。
ところが、今はその入れ子状の世界が脆くも崩れてしまった。専門的に言うと、社会のあらゆるところで〈脱領域化〉が進行しているんですね。その結果、会社が個人を守ってくれなくなった。〈私〉が無防備に人前にさらされるようになったんです。
そうすると、自分たちにとって脅威となるような人が境界の外から入ってくるかもしれない。反対に、今までであれば出会うことのなかった境界外の人と出会える可能性もある。そういうものすごく両義的な側面が出現することになります。
これは一方で安全思想の問題に繋がっていくことになります。今の若い人たちは人間関係に傷ついてるから、外から侵入してきて自分を脅かすものを排除したいという意識が非常に強い。しかし、完全に排除してしまうと、自分は孤立してどうしようもなくなることもわかっている。そこでみんな動きがつかなくなってるんです。
とすれば、脱領域化の中には危険性もあるけど、可能性だってある。その両者を見比べた時、「可能性の方が楽しいんだよ」ということをどれだけ説得力をもって若い人に語っていけるか。それが非常に大事になる。
つまり、魅力的な物語が求められているんです。
「お父さんは、こんなふうにして自分の世界を拡げていったんだよ」って子供に語る。会社の先輩は、後輩にそんなストーリーを語る。そのような「受け継がれていく物語」が必要なんです。
先ほどお話しした、「一番望ましい微妙な未来」。まるで見えないわけでもないけど、完全に見えてしまっているわけでもないっていう、新しくてワクワクする様な場所が身の回りにもあるんだっていう物語を語り継いでいかなくちゃいけない。
それは、学者が語ってもダメなんです。本来、物語というのはパーソナルなものなのであって、だからこそ人口に膾炙していくんです。
僕の子供なんか、僕が何気なく喋ったり、グチったりした内容を本当にビックリするくらい良く覚えてますよ。うかつに家の中で人の悪口なんか言えないなって思うんですけど、でもそんなパーソナルな回路を通じてしかその手の物語は伝わらないんだとすると、愚直にそれをやり続けるしかない。
こんな面白い場があって、そこに行ったらこんな面白いことがあったっていう物語が社会の中にたくさんあり、それがパーソナルな回路で若い人に伝わっていくっていうのが本来の理想なんですよね。
いわば、希望の物語。それを少しずつ増やしてく。それを政府や政治家が語るのではなく、お父さん、お母さん、地域のおじいさん、おばあさん、会社の先輩ぐらいがちょっと良い話として語り継いでいく。聞いてる方は、「また調子良いこと言ってるなぁ」って、眉唾くらいで聞くぐらいが本当は一番いい話なんですよね。
―― 希望を発見して、それを物語として語り継いでいく。そういう小さなところから始めるしかないということですね。
そうですね。物語をつくることによって、親から子、先輩から後輩というふうに、ある時間軸を示すような物語は、それが持続するからいいんです。失った時間軸をもう一回戻そうとした時に、政府が五年計画を作ります、十年計画作りますっていっても、それは無効です。もしかしたら、そう言っている総理大臣が、来年はもういないかもしれないんですから。そんな物語はもう信じられない。
とすれば、時間軸を伸ばしていくためには、パーソナルに物語を語り続けるしかない。まだ将来は見えないけれど、そのような未来にコミットしていくことに意義を見い出せるような、そういう見通しを一人ひとりが、あるいは地域ごとに、場所ごとに、組織ごとに見つけ出さなきゃいけない。
本当にストーリーテラーっていうのは重要なんです。
あとは、人と人を繋ぎ合わせていくコーディネーターが必要ですね。
各地域で、各場所で、各組織の中で、一人ひとりがストーリーテラーになっていく。一人ひとりがコーディネーターになっていく。一人が全部やるのは無理ですからね。
今の時代は突出したリーダーになるのは難しい。でもみんながささやかな小ストーリーテラー、小コーディネーターになってくれれば、可能性が出てくるんじゃないかと思います。
―― なるほど。一人ひとりがささやかな小ストーリーテラー、小コーディネーターになって、希望の物語を語り継いでいく。その中にだけ、未来は存在するということですね。
長い時間、ありがとうございました。
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