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社会学者 牧野 智和 氏 『社会学から見た自己啓発書の世界』

書店に溢れる「自己啓発書」。その中にはカリスマ経営者の説く「経営術」や「成功哲学」の書籍があるかと思えば、お掃除や片付け術によって生活習慣を変えようと説く本、そして就活における自己分析の本までが並んでいる。ここまで幅広く人気を集める「自己啓発書」とはいったい何なのか。そんな疑問に答えてくれるのが牧野智和/著『自己啓発の時代——「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房)である。
牧野氏は第34回日本出版学会賞を受賞し、業界内でも注目される若手社会学者だが、そもそもなぜ、社会学者である氏が自己啓発書を研究し始めたのか? そして、その先に見えてきた自己啓発書の世界とは? 気鋭の社会学者に「自己啓発書の世界から見えてくるもの」を聞く。

社会学者
牧野智和氏 Tomokazu Makino

1980年東京都生まれ。2003年早稲田大学教育学部卒、2009年早稲田大学大学院教育学研究科博士後期課程満期退学。博士(教育学)。現在、日本学術振興会特別研究員。博士論文をもとに執筆した『自己啓発の時代――「自己」の文化社会学的探究』(勁草書房、2012)は2012年度日本出版学会賞奨励賞を受賞。同書の続編として、PRESIDENT Online上でのWEB連載「ポスト『ゼロ年代』の自己啓発書と社会」がある(2012年~13年)。

自分探しから自分磨きへ変化する自己啓発書の文脈

牧野さんの初の単著『自己啓発の時代』では、たとえばその二章「自己啓発書ベストセラーの戦後史」において戦後66年間の自己啓発書の系譜が追跡されていますが、そもそも社会学者である牧野さんが自己啓発書を研究されようと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

私が大学院に進んだ2000年代前半、社会学の領域では、世のさまざまな出来事を個人の「心」の問題に還元しようとする向きがかつてないほど強まっているのではないかとして、それを「心理学化」「心理主義化」といった概念を手がかりに考えようとする議論が出始めていました。ただそのテーマは評論に留まりがちで、実証的といえる研究成果はほとんど見当たりませんでした。そこで少年犯罪報道を素材にして、「心理学化」「心理主義化」というテーゼが検証できるのか、またできるとすればそれはいつ頃どのように起こったのか、そして「心理学化」の社会的な影響は何なのかといったことを修士論文では分析しました。
ですが修論を終えて博士課程に進み少し経った後、これって自分のやりたいことだったのだろうかと思い直しました。少年犯罪報道分析でやったことは、他人の心を理解するまなざしの「心理学化」、いわば「他者の心理学化」だったわけですが、この概念の面白味はその逆、「自己の心理学化」にあるんじゃないかと思ったんです。つまり、自分自身をたとえばマズローの欲求段階説から捉え、その段階の最高峰にある自己実現を目指そうとする。あるいはフロイトの「エス/自我/超自我」という観点から自らを捉え、原初的な衝動たるエスに向き合おう、あるいは自我の防衛機制を解除しようとする。「スモールステップ」や「セルフトーク」といったモチベーション維持の技法を自らに適用しようとする。こういった、心理学や精神分析等に関連する知識・技法を自らに適用しようとするとき、「わたし」なるものはどう変わっていくことになるのか、そもそもそれは「わたし」なのか、心理学的な解釈から捉えられ、また改造された「わたし」の別ヴァージョンなのではないか、なんてことを考えたのです。それは、「わたし」をめぐる問いを、哲学や心理学とは違う観点から捉える、これまでにない試みになるだろうとも思いました。そういうわけで、自分自身を理解したり、あるいは改造したりする心理学的技法の研究をしてみようということになったのです。

それで、自己啓発書に行き着いたんですね。

はい。最初に接近したのは「もうひとりの私を探す」「私って、誰?」といった、一見して「自分探し」というテーマに関連するような特集を1990年代から2000年代に多く組んでいた「an・an」でした。みていくと、その前史があって、1980年代後半から「チャート診断」、つまりYES-NOで分岐していく心理テストとか、「○○点以上のあなたは××な人!」みたいな性格診断テストがちょくちょく掲載されるようになるんですが、1990年代前半には当時日本テレビ系列で放送されていた『それいけ!ココロジー』経由での深層心理をフロイトやユング流に分析するテストがそれにとってかわるようになり、90年代後半になると「目標を書き出す」「ポジティブワードを言ってみる」というような、自分を意図的に変えるためのメンタルトレーニングがさらにそれにとってかわる、という系譜を観察することができました。

内面を探るというよりは、鍛えるにかわっていくんですね。

はい、そうともいえます。それで、「an・an」を分析した後に今度は「就職ジャーナル」を読んでいったのですが、ほぼ同じようなタイミングでチャート診断が隆盛し、やはり同じようなタイミングで自己の内面を掘り下げていくような作業課題が登場したことが観察できました。これって面白いなと思ったんです。つまり、女性向けライフスタイル誌である「an・an」と、学生向けの就職情報誌である「就職ジャーナル」の双方において、人間の内面を扱う技法が同時進行的に変容していること。これは書籍に目を転じても同様でした。自己啓発書のベストセラーを追っていっても、同様に1990年代中頃以降、内面を解き明かし、また鍛え高めていくための技法が各著作内に盛り込まれるようになっていたんです。こうした各メディアの傾向を、拙著では「内面の技術対象化」と呼びました。それまでは、自分を知ることが大事だ、積極的な意欲をもつことが大事だといった言葉がただ語られていたのが、自分を知るための技法や、自らのモチベーションを高く保つための技法が合わせて提示されるようになったということです。
また、こうした技法を提供しているのは、「心理学化」論が述べるような心理学者や精神科医だけではありませんでした。もちろんそうした肩書の人からも提供はされていますが、キャリア・カウンセラーから恋愛コンサルタント、メンタルトレーナー、スポーツ選手、作家、ミュージシャン、霊能力者までがほぼ同じようなことを語っていました。これは他のところでも話したことですが、こうなってくるともはや問題は「心理学化」ではなく、もっと包括的な観点から捉えねばならないというように思いました。で、色々考えた結果これは「自己啓発」という括りになるだろうと。

90年代に一気に人々が自己の内面を探り始めたんですね。それはいったいどうしてなのでしょうか?

説明のバリエーションは色々あると思うのですが、最近は「ここではない、どこか」の宛先の変化という観点から説明できるのではないかと考えています。これは社会学者の見田宗介さんや大澤真幸さんの半分以上受け売りなのですが、たとえば1960年の安保闘争にかかわった若者、1960年代後半の大学紛争にかかわった若者のなかには、理想の社会体制を求めて運動に参加した人がいたのではないでしょうか。あるいはより一般的には、二つの闘争の間で進んだ高度経済成長のなかでは、人々は今よりもっとよい暮らしを求めて日々の労働に従事していたのではないでしょうか。これについてはやや戯画的ですが映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に象徴されているのかもしれません。1970年代、「ここではない、どこか」の行く先は、大学紛争の終焉およびその延長戦として帰結された連合赤軍事件を決定的な契機として政治ではなくなり、また高度成長の終焉を経て経済でもなくなり、文化領域に移行したように思います。たとえば1970年から国鉄が開始した「ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンは、まだ見ぬ「日本のどこか」に希求の宛先を仮託しようとしたものだったのではないでしょうか。そして1980年代に人々を新たに魅了したのが、消費文化のなかで「わたし」を発見するという、上野千鶴子さんが呼んだところの「私探しゲーム」だったと考えられます。
消費文化の隆盛、より端的にいえばバブル景気がもたらした好況下で享楽的にふるまう人々を横目に、1980年代後半あたりから「外見ではなく心こそが重要」だとする物言いを多くの人生論の書き手が採用し始めます。バブル崩壊後、このような考え方はより勢いを得て、たとえば中野孝次さんの『清貧の思想』のようなベストセラーを生むことになりました。消費文化内での「私探しゲーム」が陳腐化した、雑駁にいえばブランドものを身につけていることがセンスのよさを示すという感覚こそがダサいと思われるようになってしまったという状況、旺盛な消費欲を支えた好況の終焉、これらが「外見ではなく心」こそが最後に残された「ここではない、どこか」だという言論の底流にあるのではないかと最近は考えています。

で、内面探しの旅に出ていくわけですね。

そうですね。「外見ではなく心」へという関心の流れは、二段階で進展しているようにみえます。たとえば先ほどの「an・an」を例にとると、1990年代前半は、「あなた自身も気づかない深層心理を明らかにする」というようなこと、つまり心を読み解くこと自体に目的が置かれていたようにみえます。これが90年代終盤になると、「○○力を高める」というように、何らかの目標に向けて内面を鍛えていくことに重心が移動していきます。もちろん内面を明らかにすることもそのプロセスにおいて求められるのですが、「自分の強み」を明らかにし、目標に向けて何をすべきかを明らかにするというように、目標に向けての自己鍛錬の最初のステップに組み込まれるようになっています。まとめると、「ここではない、どこか」はこのとき、自分自身も知らない「隠れた」「本当の」内面ではなく、今ある自分のうち望ましい目標に向けて使える「自分の強み」を錬磨していくことに置かれるようになった…といえそうなのですが、もうこれって「ここではない、どこか」とは言い難いように思いませんか。「ここではない、どこか」が消失し、今ある手持ちの武器、つまり「いまここ」でサバイバルしていかねばならなくなったという感覚にたどり着いたということ。これを広く一般的に拡大すると、自己啓発書が求められるようになる心性ということになるんじゃないかなと思うんです。


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