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高橋 俊一氏講演「どこに工夫があるのか?」

やわらかく、わかりやすい文章

新聞社でものを書く仕事を長年やってきたことで、編集者の皆さんに、こういう点に目をつけていただくといいかな、といったことを率直にお話をして参考にしていただきたいと思います。

いろんなジャンルがあり一概にはいえませんが、一般的に通用することを中心に述べていきます。読者は様々ですが、少しでも多くの人に受け入れられる、読んでスムーズにわかってもらえるものを出さないといけません。

では、どういうところに目をつけて原稿を評価していくか、どういうことをやればいいのかについて、分別くさいことを言う気は全くありません。観念論や抽象論をしゃべっても仕方がない。できるだけ具体的に提案していきます。
 日本語の文章ですから、特別なことはないんです。少し私の経歴を話しながら、体験の中からポイント、ポイントを踏まえて語っていきますから、そこから取り入れてください。


私は大学を5年かかって卒業しましたが、マスコミという業界に入ってみたら、大学で5年、6年生なんて、ざらでした。70年安保の頃です。最初は毎日新聞社、そこに十数年いました。それから朝日新聞社にうつって、定年までいました。仕事自体はかえておらず、ずっと社会部で、転職ではない。「転社」ですね。この体験、いつか書きたいと思っています。それはまあおくとして。

だいたい大学でろくに勉強などしていない。今、講師として大学の教壇に立っているのは、おかしいですね(笑)。新聞社に入って、その時、先輩に「お前の文章は、コチコチに硬いな」と言われました。「もっとやわらかく、わかりやすく書け」と。それはよく覚えています。もっともなことでした。


それから40年近くやってきて、リタイアしたわけですが、「わかりやすく、読んだ人が、できれば、最後まで読んでくれるように書くにはどうしたらいいか」を考え続けてきました。

「やっぱり俺の文章はコチコチでカタイんだな」そう思った。その原点はずっと持っています。今もです。


やわらかく書くって、何も、流行語を使って、ガキみたいに書くのではないんですよ。普通の文章を書いて、読者があまり頭を使わなくても、すらりと読める、できれば、のめりこんで読んでもらう――書く側の永遠のテーマですね。おそらく、皆さん、編集者の方にも、永遠のテーマです。

とくに編集者は、いろんな人の原稿やキャッチコピーに接するわけです。それらが読み手に、どう働きかけるのかを見極めないといけません。書き手は自分勝手にいいと思って書くんですが、書き手と読者・読み手をつなぐ編集者は手前勝手ではいけません。

だから、皆さんの立場は、プロの目で見抜かなければならない。皆さんは、じっくり読めば、見抜けますよ。しかし、じっくり読むひまなんてありますか? そんなに恵まれた環境にはないと思います。むしろ忙しくて仕方がない。

最初から最後までじっくり読んで評価するなんてことをする以前に、ある程度読みこなさなければならない。どうやって見抜いていくか、そのためのコツを知っていないといけません。そのうえで、取捨選択して、ポイントを踏まえて修正を求めていけば、最初はむちゃな文章でも、きっといい文章になると思います。

では、そのポイントを具体的に示していきます。


もちろん、いろんな評価の仕方があって、どんな分野なのかにもよりけりです。どういう読者に読ませるか。業界の人か、一般の人か。ここでは、文芸の特殊な本や宗教の本とも違う、広く一般の人に、できるだけ多くの読者に読ませる、ということを前提にしてお話します。




キーワードは、「関心」と「集中力」


読者に「関心」を持ってもらい、読者の「集中力」を最後まで維持する。全体のキーワードがこの2つです。そのための原則があります。特別な話ではないですよ。日本語ですから。外国語の本を作るとしても、結局は同じことではないでしょうか。


(1)長いか短いか。


編集者がブレイクするにはどうしたらよいか、中村氏は
 ①文(センテンス)の長さと短さ
 ②段落の長さ・短さです。重要なのは句読点。
  とくに句点。長文はとくに、当然のことに、句点が極端に少ない。
  当たり前のことを言っている、と言われるかもしれませんが、これが難しいんですね。



①の例文をあげてみました(以下×が悪例、〇が適正な例文)



×

列車は二本の線路の上を時々ゴトゴトと揺れながらひた走り、国境の山脈を掘って作られた長いトンネルに入って、さらに前後上下の揺れを増しながら走ってトンネルをどうにか抜けると、そこはもう雪が一面に降り積もった北の国であった。


国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。(『雪国』川端康成)



書き出しの極意です。このように、書き出しは、とくに短文がベターです。このあと、「夜の底が白くなった」「信号所で列車がとまった」などと10文字ちょっとの短い文が続きます。何か映像を見るような、振動までも伝わってきそうですね。川端さんがそこまで考えて書いたかどうか知りませんが、これは素晴らしい書き出しであると、私だけでなく、世の定評なんですね。

ほかに、短く端的なことで有名な書き出しをあげます。(木曽路はすべて山の中である。『夜明け前』島崎藤村/吾輩は猫である。名前はまだない。『吾輩は猫である』夏目漱石/メロスは激怒した。『走れメロス』太宰治/終わった。『兵士の報酬』開高健)


これらの文章はわずかな構成要素で、人間の感覚を刺激して、感性を広げる。余計なこと、列車が揺れてどうとか、ゴトゴトとか書かない。そういう作品に出会えたら、皆さんは幸せです。

テレビなどの映像メディアなら、言葉のアクセントもあるし、表情もあるし、「はい」一つにしても、喜んで言うのと、いやいや「はい」と言うのと、違いがわかりますね。ところが、活字にすると、伝わらない。

平らな紙のうえで、関心をひきつけるのは、一番至難の業、高度な技です。そこを、ぐずぐず書いて、しまいには、主語と述語の関係、就職後が果たしてどこにかかるのか、それもわからなくなることがある。難解で知られたノーベル文学賞作家もいますが、それはハイレベルな話で、世の中一般のレベルに合わせてやらなければ、発行部数を増やすことはできません。

部数を増やすことが絶対ではないけれども、皆さんの使命の一つであって、それは何もそろばん勘定だけでなくて、多くの人に読んでもらう。こっちのほうがいいに決まっています。


長い文章が常にいけないといっているわけではありません。でも、いちばん受け入れられるのは、とくに、書き出しが短文であること。皆さんは村上春樹氏の全集でも出す場合でない限り、一般的な原稿で、小説であれ、ノンフィクションであれ、まず、書き出しを見ましょう。


「書き出しから3行のあいだに、句読点の句点がいくつあるか」大切だ、と新聞記者のある先輩に言われたことがあります。

長い文章が悪いとは言いませんが、ここは長い文章がいい、という根拠と必然性が示されない限り、受け入れないほうが無難です。執筆者の先生に「なぜ、こんなに長いのでしょうか」とたずねてみてください。そこで、納得したら受け入れるしかありませんが、だいたい、皆さん納得できないはずですよ。やってみてくださいね。どんな偉い方の文章も短く書き直すことはできますよ。



②段落の長さ、改行



大学で「文章論」を教えていますが、授業で必ず言います。「君たちは努力することが嫌いらしいが、努力なしで文章がうまくみえるコツがある。簡単だよ。改行することと、ついでに文章を短くすればいい。形としては句点を多くすることだ」

つまり、句読点と改行が基礎中の基礎。この2つで、文章がうまく見えます。

長々と改行なしで続く文章は、読者は読みなれていないのですから、「やめた。他の本にしよう」となります。最後まで読んでこんなの駄目だと評価されたら仕方ないけれど、少し読んで「何となく疲れる、やーめた」となったら、筆者も編集者も悲しいではないですか。

やたらと改行する作家もいますか、それはまた別問題ですからふれません。改行がないと、率直にいって、読みづらい。読者には微妙な、リフレッシュのひと呼吸になります。

私は、学生を相手に、いや誰にでも「10行越えたら、長く感じるぞ」と言います。読者の集中力はそんなに続きません。筆者も、注意力に限度があります。誤字脱字の原因になったり、あるいは主語と述語がリンクしなくなったりします。

ここ改行しましょうよ」と言って、怒る筆者はあまりいません。「ここ文章おかしいですよ」と言ったら、怒られるでしょうが(笑)。


よく「~が、~」という書き方があります。反転が続く文章は、相手にしないほうがいい。だいたい、なくてもつながるんです。人に面と向かって話す時はいいんですよ。さっきも言ったように映像メディアは表情が見えますから。

アナウンサーがテレビでしゃべる時、聞いていると、やたらと、「~が、」を続けます。これを文章化すると、たいへん長いものになります。たいていは、なくても通じます。




(2)「漢力英役」+1


これは私の造語で、こんな言葉はありません。漢字、カタカナ、英語、役所言葉のかしら文字です。どれも文章を難解にする要素です。筆者はこういったものを使いたがるんです。学者に多いですね。学生もけっこう多い。年代を問わず使うので、陥ってはいけないと思ってここにあげてみました。



●漢字 ~常用漢字と現代仮名づかいを貫くこと。



×

何故日中関係は改善の兆候されないのか


なぜ日中関係はよくならないのか。



ふつうの表現ですみます。漢字の知識が少ない人でも読めるようにします。世代により、昔の学習や習慣が癖になっている場合、若い人でも、安易な当て字を書いてしまうケースに気をつけないといけません。


小難しい言葉を使うほうが、筆者は楽なんです。自分が分かっているから相手も分かるはずだと難しい言葉を使う。結構、偉い方がやっていらっしゃる。でも、誰にでも通じる「共通した言葉」で語りかけなければだめです。

わざわざ、漢字で書いてごまかしている。やたら漢字が多いと、文章がごつごつします。難解な漢字や英語を使うことが高尚だと思われる、そういうムードに引きずられて使わないで。ふつうに書けばいいのです。「共通の言葉」を使えばいいだけのことです。



●カタカナ ~カタカナ言葉が多すぎるのは、NGです。



×

人間ファーストがわが社のキホン中のキホンで、どんなシチュエーションでもクライアントを盛り立てる
スキームと、実現するだけのスキルがあることを示すべきだ。


人間第一がわが社の基本中の基本で、どんな状態でもお客様を盛り立てる企画と、実現するだけの
 技能があることを示すべきだ。



カタカナ表記の文章には2種類あります。

 (1)外国語を強引にカタカナで表記して使う。
   適当な日本語訳がない場合の言い回し、日本社会にすでに定着した単語であっても、
   羅列や連続しての使いすぎは「カタカナだらけ」の抵抗感を持たれます。
   まして、適切な日本語がある言葉は、特定の業界内だけの文書でもない限り、
   普通の日本語を優先して書くべきでしょう。

 (2)日本語なのに、わざとカタカナにして目立たせる。
   間違いではないですが、強調したいなら、表記の細工に頼らず、
   文章の流れ、文脈で理解してもらうのが何よりです。


要するに、言葉は習慣ですから、どこまで定着しているかを見極めなければならない。それを見極めるのが皆さんの仕事です。筆者に引きずられてはだめですよ。

それが高尚だと思っている筆者がいますが、だいたい途中で読んでもらえなくなります。皆さんにはそういうことを意識してやってもらいたい。基本中の基本ですね。


カタカナとは違いますが、会場に女性が多いのでなんですが、女性の原稿でよくあるのは、年代にかかわらず、やたらと記号・符号の使い過ぎです。かぎカッコ、まるカッコ、チョンチョンなど、強調したつもりかもしれませんが、その意図はだいたい通じません。

自分では意図があるんですよ。しかし、読者にわかりません。パソコン、ワープロでは記号がいっぱいあります。つい使いたくなりますが、使い過ぎは受け入れられません。この話は次の項目、英語の使い過ぎに共通します。



●英語 ~多すぎるのはNG.言い回し、略語も含みます。



×

アクションプログラムが定まらないから、解決のソリューションが見えてこない。


実行計画が定まらないから、解決が見えてこない。



英文をそのまま持ってくる、ソリューションとかね、そういうふうに言ってしまえば、分かっている人は分かっているが、分からない人は分からない。なんとなくそれでごまかすような、エセ政治家に多い。しかし、それは本・雑誌の世界ではやめたほうがいいことです。


難しい漢字、不必要なカタカナ、不要な英語、これらは、タブーと思ってよいでしょう。皆さんのフィルターにしっかりかけてください。どうしても使わなければならない時は、それをきちんと説明することです。別に項目を立てるとかして。

言葉が世の中に定着していけばいいんですよ。「スキル」とか、「スキーム」とか。微妙な状態にあるものもありますが、そういう言葉も、なるべくしっかりと親切に説明してあげる。それが皆さんの仕事の1つです。


NHKをわざわざ日本放送協会と書かなくても、それはいい、自民党も定着してるからわざわざ自由民主党と書かなくていい。では、CA、これいろんな解釈がある、キャビンアテンダント、客室乗務員、かもしれない。解釈はいくつもある。しっかり示してやらなければ分からない。業界の人には、ある文脈の中ではわかるかもしれない。でも、誤解してしまう場合もある。JOC日本オリンピック委員会とかIOC国際オリンピック委員会とか、専門用語も同じですよね。こういうのは使わざるを得ない。しかし、強引にやたらと英語をもってきて、しかもカタカナですませている、それは要注意です。

それが一見、格好よく見えるんですね。大きな間違いです。次の例を見てください。



×

マスコミ相手にプレス発表することは、クライアントへのアピールになり、プレゼンの時にわが社の
コンセプトイシューを理解してもらうのに役立つ。


マスコミ相手に記者発表することは、顧客へのアピールになり、提案説明の時にわが社の理念課題
 理解してもらうのに役立つ。





●役所用語  ~多すぎるのはNGです。表現を引きずらないこと。



×

数次にわたる構想改定を行ない当該計画は抜本的に改善された


数回、構想を改めてその計画は根本からよくなかった


専門用語や業界用語も読者対対象によるでしょう。厳しくしぼりこんで。

ふつう使わない専門・業界用語は、できるだけやさしい言葉に置き換える。


×

おフダさえとっておけば、ホシが完黙しようと心配ない。


×

コーパイとCAを全員集めてくれ。


(おフダは逮捕状、コーパイは副操縦士)



新聞記者は警察を回ったりしていると、デカ(刑事)の発想になってくる。知らずにその業界用語を使っていたりします。皆さんはそういうことはないでしょうが、役所用語となると意外と、自然に頭に入りこんでいます。

役所用語は、日本の公務員が偉いお役人から下っ端の小役人まで、明治以来、長々と、いかに責任を回避するか、責任逃れをするか、あいまいな表現を使っていかに約束しないか、確約しないか、しかし何となく相手を納得させる、そういう用語を編み出して、使いこなしてきた芸術品です。人を煙に巻くことに長けている。

しかし、一般の人にも役所用語が入ってきているのも事実。それは、いったん消去しなくてはならない。ひどいものです。役所用語に同調してはだめですよ。

「可及的速やかに」は「できるだけ速やかに」でいいんです。

「善処する」は「うまく処理する」でいいんです。

私も知らずにやっている可能性がありますから、お互いに気をつけましょう。



●+1のお話。「的・化・性」 ~これを使いすぎると、抽象的になります。



×

国際的な関係において重要性が感じられるのは、海洋をめぐる論争だ。


国際関係で重要なのは、海洋をめぐる論争だ。



これらの文字は、概念や観念を広げる働きをしますが、話の焦点をぼかしてしまいます。「超アルプス的な自然美」「凶暴性が猛獣化する」など、強引にこじつければきりがない。雰囲気が歪むだけで、正確な意図はなかなか分かりません。


とくに「的」はくせものです。これを使う学者は多い。物事をあいまいにするテクニックです。

何にでも使えるんですね、「的」は。ペットボトル的な便利さ、何でしょうこれ。ライオン的な?リーダーシップ、何のことでしょう。悪魔的な微笑、何だこれは。どうにでも解釈できる。読む人によって解釈が違ってくる、こういう文章はだめです。1つの文章は1つの解釈だけ。誤読のもとです。

あいまいにする、自分の力不足をごまかすために「的」を使う。学者に実に多い。1つの文章の中に「的」がやたら出る。それと似た言葉に「~化」もあります。「もっと議論を活発化して」なんて言います。もっとよく議論するだけのことですから、そう書けばいいのに。


もう1つ「~性」。積極性、同調性、なんでも性がつく、性質のこと。なんとなくなくわかるけど、完全にビシッと確定させるわけでもない。しかも逃げ道がある。そういう言葉なんですね。それが高尚であると思っている人がいて、皆さんが引きずられている。マジックですよね。

「国際的な関係」でなくて「国際関係」でよい。「積極的な協調性が求められる」は

「進んで人と協調する」でいいのです。

こうやって高級ぶって、逃げる、 そういう機能が日本語にある。もしかしたら、世の中をうまくやるための素晴らしい知恵なのかもしれませんが、時と場合による使いようです。その使いようを判断するのは、皆さんです。ここで「的」がいっぱい出てくる、また「性」がある、これでいいのかな。と考える。改善する方法はいっぱいあるはずです。

一般になじんでいる「現実的」「具体的」「社会的」「必要性」「協調性」「事業化」「激化」などは、やり過ぎに注意して、必要に応じて使ってください。
どんなに偉い学者や専門家の文章でも、普通の言葉で、普通に書いてあるのが良い原稿です。普通のことをあえて難しく書く必要はない。難しいことを普通に書いてあってこそ、誰にでもわかりやすくなります。

どんなに偉い学者や専門家の文章でも、普通の言葉で、普通に書いてあるのが良い原稿です。普通のことをあえて難しく書く必要はない。難しいことを普通に書いてあってこそ、誰にでもわかりやすくなります。



(3)ダブリ


読みにくい文章の典型は、同じことを何回も言っている「だぶり」です。そういう原稿かどうかをチェックする。今、申し上げた、漢字とか言い回しとかとちょっと違って、少し読まないとわかりません。手間がかかりますが、気をつけなければならない。

わざとでなくても、やってしまう、文章の「持病」みたいなものなんです。宿命みたいなもの。年代、性別にかかわらず、あります。やたらとだぶるんですね。これ、日本語に限りません。英語でも中国語でも同じではないかと思います。

略していけば、半分とは言わないが、相当、削れます。そういうのを読まされていると、読者は専門家でないですから、一つずつ「これ、だぶっているな」と仕分けする読者はあまりいません。自然に読み進めていくうちに、疲れて、それで読むことが嫌いになる。テレビのほうがわかりやすい、となってしまう。新聞も読まなくなる。本を途中でやめてしまう、ということになる。心理学の話です。



×

私は海に放射性物資を海洋投棄することに反対だ。


東京に上京する。


×

馬に乗って乗馬する


極端な例でわかりやすいですね。

こういう熟語的なことだけでなくて、次の例を見てください。


×

走ることはスポーツの基本だ。走って足腰をきたえることによって、どんな動作も安定して
 繰り返すことができる。次のプレーに余裕を持つことができ、試合の主導権を持つこともできるのだ。


「こと」だらけですね。若い人に多いです。それから「~が、」。「彼はそういうが、こういうことがどうして起こるのかが、問題だ」これは「がが文」と言います。



これはまだわかりやすいが、人それぞれで癖があり、人それぞれで、だぶる言葉が違う。そこを見抜かなければならない。しかし、だぶりの中では、まだ軽症といえます。もっと重症なのは、文そのもののダブりです。

配布資料に「長いダブり(主に内容)にも注意しよう」と項目にあげました。



×

私は米国の企業経営と多国籍企業の成長にずっと関心を持ってきたので、
 とくに1970年以降の米国の企業経営と多国籍企業の成長については自信を持って語ることができる。


私は米国の企業経営と多国籍企業の成長にずっと関心を持ってきたので、とくに1970年以降の動向
 については自信を持って語ることができる。



とくに長い原稿を読む時、気をつけなければならない。言葉を変えたり、間に別の話題をもってきて、また元に戻る。これは、最初に申し上げたチェックポイントを押さえると、防ぐことができるというものではありません。なかなか手ごわい。


しかし、そのレベルまで編集者の皆さんは求められます。それにはやはり、「問題意識」を持つこと。

こういうことは、どんなにえらい作家でもあるぞ、そういう問題意識を持ちながら、さっき言った最初の文の長さ、段落、関与してないか、をチェックしながら、このハイレベルな、複雑なだぶりについて、意識を持ち続ける。そうしないと、これは見抜けません。こういう「病」があると思っていてください。


最後に、予定はしてなかったのですが、やはり配ったほうがいいかなと思うので、もう一つ資料を配ります。新聞のコラムです。

コラムは新聞によって字数が違います。読売新聞は短い、550字。日経は長く700字、毎日も長い。朝日は600字です。

プリント1枚目は650字のコラムを150字削ったもの、2枚目のプリントは、さらに削って400字にしたものです。文章のセンスを磨くことができます。だいたい接続詞なんてほとんどいらないというのがよくわかる。60パーセント近く削れます。そういうことをやっていくと、皆さんは、受け取った原稿をみる目を厳しく鍛えることができます。

この練習を、時間がある時、やってみてください。名文とされるいい文章でトライすることが、文章を読み込む力を磨く練習になります。




(平成29年9月21日(木)AJEC編集講座での講演より)

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